地方の公共交通を立て直す!@高知家

地方の車社会、公共交通、自転車活用をはじめとする交通論・都市計画論、その他いろいろ

書評『クルマを捨ててこそ地方は甦る』藤井聡著。地方の疲弊と衰退は過度なクルマ社会に一因あり。

 

 昨年11月に書いた以下の記事で、昨年10月に京都大学大学院教授の藤井聡氏が上梓された『クルマを捨ててこそ地方は甦る』について触れました。

 

nomotoyasushi.hatenablog.jp

 

改めて最後まで読了しましたので、書評という形で記事をアップいたします。

 

ブログ主も以前から地方の疲弊と衰退はクルマ社会に一因ありと考えてきました

 

まず、この本が上梓されたことは大変嬉しく思います。

 

ボクも当ブログである「脱クルマで地方は豊かになる!」というブログを書き、原稿を一通り書き上げ、一度は疋田氏を通じて編集者さまを紹介していただけながらもボツになり今に至るまで難航しておりますが、地方での自転車活用と脱クルマをテーマにした本も書いております。

 

それだけに、ボクが以前から考えていたこと思っていたことがズバリ書かれていて大変共感する内容となっています。

 

ボクは以下の二つの視点から、過度なクルマ依存が地方の疲弊と衰退を招いていると考えていました。

 

まず第一には、ブログで幾度も書いているように一人一台に迫るほどマイカー・バイクの所有が大前提になった結果、ただでさえ地方は所得が少ないのに、その多くの部分をクルマ関連の出費に食い潰されており、実質の可処分所得がかなり目減りしているということです。極端な例では手取り収入の半分がクルマ関連の出費に消えている場合があるほどです。

 

nomotoyasushi.hatenablog.jp

 

クルマ(スマホ、ケータイも同様です)が庶民の所得を掻っ攫った分(ただでさえ、消費税、年金、健康保険、介護保険なども高くなっているのに…)、自由に使えるお金は減り、地元のお店などへ落ちるお金も少なくなってしまいます。住宅などの世代を超えたストックに回せる分も減ってしまいます。地方経済が疲弊して当たり前です。

 

第二の理由は、第一の理由で述べたことと関連しますが、地方中核都市ですら公共交通機関が貧弱なせいで、クルマの所有が必須で移動も常に自分でクルマを運転しなければならないという状態は、決して住みやすく魅力的な地域とは言えず、人口流出を抑え移住者を増やしていく上での足枷になっているということです。

 

nomotoyasushi.hatenablog.jp

 

「クルマを所有すれば金かかる」、「クルマを所有しなければ移動が極度に制約される」という二択を強いられる状況はあまり住みやすいと言えません。

 

そもそも、自動車中心の交通システムは非効率で不安定でリスクも大きいです。駐車場や道路で広大な土地を浪費してしまいます。ちょっと交通量が増えただけで、途端に流れが悪くなり様々な活動の障壁になってしまいます。そんな状態では、人や企業が集積し地域が発展していこうにも限界があります。

 

nomotoyasushi.hatenablog.jp

 

クルマ社会化に伴う郊外拡散は様々な要因で地方を衰退させる

 

本書では、前述の二点にも少し言及がありましたが、クルマ社会が地方の衰退を招いていると様々な側面から指摘されています。

 

中心街のシャッター街化や公共交通の衰退による魅力の喪失や雇用の減少、郊外大型モールやロードサイド店の増殖によるお金の地域外への流出、地域コミュニティの崩壊や地域への愛着の低下、郊外化に伴う行政コストの増加、運動不足による健康悪化による医療費の増加…。

 

特に興味深いのは、やはりクルマ社会の進展により進出を加速した地域外資本である郊外ショッピングセンター等がお金を地域外へ激しく流出させているという点ですね。京都市であっても、地元商店で買い物した場合は約半分が地元に戻ってくるけど、郊外ショッピングセンターで買い物した場合はわずかに2割しか戻って来ないようです。

 

「便利で品揃えがいい!」と皆が郊外ショッピングセンターこぞって買い物すれば、地方経済が疲弊するのも無理はありません。(そう言いながら、ぼくだって郊外のドラッグストア等へよく行きますが…)また、郊外モールだけでなく郊外のニュータウンだって地域外の資本が開発した場合がほとんどですし。

 

第2章の最後で、こう述べらていました。

 

クルマ社会が進展すればするほどに、地域の経済、産業、社会、行政、人口のすべてが同時進行的に衰弱していき、地方は衰退していくのである。

これこそ、本書の最大のテーマである「クルマを捨ててこそ、地方は甦る」ことの本質的理由だ。

 

クルマ社会はロシアンルーレット

 

筆者もブログで、クルマ社会の問題点について、常に事故を起こしてしまう、または事故に巻き込まれてしまう高いリスクを背負って生活しなければいけないと指摘しました。

 

それについても、しっかり第5章で述べられていました。

 

50年間クルマに乗り続ければ、125人に1人が死亡事故(運転者自身または同乗者が死亡、他のクルマの乗員、歩行者等を問わず)を起こす400人に1人が事故死する200人に1人が死亡時の加害者になる確率だそうです。

 

さらに、死に至らないまでも人身事故を起こす確率は実に「3分の2」(!)にもなるそうです。物損事故も含めると、もはや全く事故を起こしていない人はほとんどいないであろうと推測できます。物損事故であっても、任意保険料が高くなる、車両保険に未加入の場合、ローンをさらに背負ってしまうなどの経済的ダメージを受けてしまいます。

 

やはり、クルマに頼り切った交通社会は危険過ぎます。筆者を含めて教習所に通っただけのプロとは言えない人間がまともに健康管理もなされず、さらに鉄道のATSのような保安装置も全くない状態で運用しているのだから余計恐ろしいです。ボクだって藤井氏同様に、「クルマ(バイク)の運転がコワイ」と感じ続けています。

 

一般の方々にもオススメできる内容です

 

他にも、脱クルマ社会へ舵を切っている富山ライトレールセントラムの整備をはじめとする富山市の事例や、京都、銀座、川越(必ずしも地方とは言えないですが)など通りからクルマを締め出すことによる効用、そして街から車を締め出しても混乱しないメカニズムなどが述べられています。

 

地域再生・地方創生に携わる地方行政関係者だけでなく、地方で暮らしている一般の人々にとっても「便利なクルマ、実は色々と問題があるんだよ」ってことを頭の片隅に置いておく上では大変オススメできる内容になっています。

 

 関連動画

 

京都大学大学院教授・藤井聡氏の「クルマに頼りきった社会の改善こそが地方創生につながる」に大いに賛同します!

 

先日、京都大学大学院教授であり、内閣官房参与でもある藤井聡氏が『クルマを捨ててこそ地方は甦る』PHP新書)を上梓されました。

 

「地方が疲弊しているのは行き過ぎたクルマ社会に原因がある」「地方創生にはクルマに頼りきった態度を改める必要がある」などと、筆者も長年考えていたことが、データや具体的事例を交えながらズバリ書かれており、非常に興味深い内容となっています。

 

昨日購入したばかりで、まだ読み終わっていないので詳細なレビューは後ほどに回しますが、「MONEY VOICE」に本書の概要版とも言えるような記事がありましたので、そちらの内容を元に話を進めます。

 

www.mag2.com

 

郊外チェーン店は稼ぎの大部分を地域外に流出させる

 

地方ではクルマ社会が進んだ結果、イオンモールを代表としたショッピングモールや郊外の幹線道路沿いにファストフード店、回転寿司、うどん店、ファミレス、パチンコ、コンビニ、ドラッグストア、レンタルビデオ店、百均、ファストファッションサラ金ATM、大型電器店、葬儀屋などが林立する光景はすっかりおなじみになりました。 

 

余談ですが、それを三浦展氏はファスト風土と名付けています。

 

 それらの多くは地域外の資本のため、そこにおカネを落としても大部分は速攻で地域外に出ていってしまいます。記事の中にも、京都市内の商店街で買い物した場合、1万円のうち半分以上の5300円が地元に還元されるけど、ショッピングセンターの場合はたったの2000円しか地元戻ってこないとか…。

 

京都で2割ですから、高知県の場合さらに低い割合である可能性が高いです。

 

それでは、自治体の税収も落ちる一方、地方が疲弊していくのも当然ですね。

 

郊外ショッピングモールはよく槍玉に上げられますが、それ以上に地方にも至るところに林立する大手コンビニチェーン(ヤマザキショップは除く)の方が、身近なところにあるだけにさらにタチが悪いです。いや、パチンコがもっともっとタチが悪いのですけどね…。詳しくは省略します。

 

コンビニは都市部にも多く林立していますが、地方でもこれだけ増えたのはクルマ社会だからこそでしょう。大型トラックを何台も停められる広大な駐車場を備えたコンビニはもはや至るところにあります。

 

本部が土地建物用意の契約タイプ場合(いわゆる「Cタイプ」契約)、ロイヤリティで粗利の半分以上も本部が吸い取り(それゆえ、人手不足でも根本的に人件費を上げれずオーナー家族の生活も苦しいそうです)、 地場の商品もほとんど仕入れません。配送の運転手も地域外からやってくる場合も多いです。最終的に9割くらいが速攻で地域外に出ていっていると推定されます。

 

セブンイレブンが高知に進出したと言って喜んでいる場合じゃないですよ(笑)

 

クルマ関連の高額な出費が他に回るお金を減らしている

 

記事では特に述べられていませんが(新書にはクルマを手放せば家計はかなり楽になると少し述べらています)、高額なクルマ関連の出費による実質の可処分所得減少も、地方の疲弊と衰退の原因であると、僕は考えています。詳しくは過去の記事をお読みください。

 

nomotoyasushi.hatenablog.jp

 

クルマの多額な出費により家計が圧迫されれば、他の娯楽等に回す余裕は少なくなり、食事や日用品等もディスカウントストアばかりになってしまいます。休日ともなれば、マクドナルドやスシローやGU単独で渋滞を生んでいるほどです。

 

 

クルマ本体の100〜500万円という価格は、家庭内の家電や家具を総取替えしても余るくらいの高額なものですし、普通車の自動車税年間4、5万円も、きちんとしたアウターを一着買えるくらいのいい値段です。

 

各種ロードサイドチェーン店が流行るのは、「クルマで行きやすい」という側面と「クルマのせいで使えるお金が減った結果、そういう店ばかりに行かざるを得ない」という2つの側面が相互に絶妙に絡んでいるのかもしれません。

 

さらに、クルマ関連に多額のお金を落としても、それが地域内で回るならまだマシです。しかし、実態はほとんどがすぐに地域外に流出してしまいます。高知県には自動車の製造工場は全くありませんし、当然原油は産出されませんし、精製工場もありませんし、保険屋も県外資本です。地元に落ちるのは、販売店、整備工場、ガソリンスタンド、保険屋の窓口くらいです。ほんとに「末端の中の末端」というレベルです。

 

結局、地方がクルマに過度に依存することって、地域経済にしてみれば二重苦じゃないですか!地域外の資本への消費で流出し、クルマ自体でも流出するという意味で。

 

さらに新書では、モータリゼーションの深化でコミュニティの崩壊による行政支出の増加と健康悪化による医療費の増加も述べられていたので、三重苦、四重苦とも言えますね。

 

出来るところから少しでもクルマ社会を緩和させて行こう!

 

新潟在住の「地方で暮らしちゃえば?」さんは、記事にてコンパクトシティ化を提案されています。

 

chihou-ijyuu-niigata.blog.jp

 

それが、地方の脱クルマにおいては究極の理想なんですが、都市の土地利用自体を弄ることになるため莫大な時間がかかります。どこから手をつけたらいいのかさっぱり分からないレベルです。

 

まずは、ソフト施策を中心に出来るところから手をつけていくしかないです。

 

高知市は郊外拡散が進んだとは言え、まだまだコンパクトシティな構造を維持しており、市街地内ならぶっちゃけマイカーは必須ではありません。路面電車もありますし、自転車でも十分移動できます。

 

まずは、自転車利用の促進でしょうね。何より思い立った日から即実行できます。インフラの整備というよりは、「クロスバイクだと結構な距離を快適に走れる」、「このルートが快適」、「自転車でこの区間の所要時間はこれくらい」などという情報を分かりやすく発信していくのがいいでしょう。

 

そして、公共交通も現状の貧弱なインフラでも、ソフト面を改善して利用しやすい仕組みを作っていくことが何より大切です。何よりも通勤で使いやすくすること、そしてクルマに依存しがちな家族連れに乗ってもらうための施策が欲しいところです。思い切って、大人と同伴する中学生以下の子供は無料にしてもいいくらいだと考えています。

 

とにかく、どれだけ脱クルマが推進できるかはともかく、少しでも脱クルマ社会に舵を切っていくという姿勢が重要ですね。

 

誤解されがちですが「地方すべての地域を直ちに脱クルマせよ!」なんて全く考えていません。

 

またまた「地方で暮らしちゃえば? 新潟のポテンシャル」というブログを書かれている方が、このブログの内容や主張について記事にしてくださいました。どうもありがとうございます。

 

「地方で脱クルマ」と言うと、ほんとに誤解を受けるというか、条件反射的なご批判を受けるのですよね。

 

chihou-ijyuu-niigata.blog.jp

 

批判ツイートをピックアップ

 

 Twitterの検索欄で「脱クルマ 地方」と検索したものをちょっと拾ってみました。

 

 

予想通り(?)、批判ツイートが出てきました。

 

以前、ブログにも以下のコメントが来ました。

 

 

「で?」「だから?」としか思えない内容でしたので、「取り合うだけ無駄」と判断して承認せずに消しましたが、Twitterではコピペして公開しました。

 

一連のご批判ですが、理路整然とした反論というより、条件反射的な反論なんですよね。「地方で脱クルマ?何バカなこと言ってんだ!」みたいな。

 

ということで、それらの反論に対して回答いたします。

 

脱クルマを推進すべきなのはあくまでも地方中核都市圏

 

まず、「地方すべての地域を脱クルマしていくべし!」は全然考えていません。

 

 

一括りに地方と言っても様々な地域があります。

 

高知県の中だけ見てみても、高知市のような「地方の中の都会」である「地方中核都市」、安芸市須崎市四万十市のようなその地域の中心地域である「地方小都市」、馬路村、大豊町梼原町土佐清水市などの山間部や漁村などの都市的な地域から離れた「農山漁村」と、一括りに地方と言っても環境は様々です。

 

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(五台山から見た高知市街 2016年3月21日)

 

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四万十市 2017年8月29日)

 

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(馬路村 2012年12月3日)

 

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(東洋町甲浦 2015年8月1日)

 

反論される方は、高知市のような都市化された地域と大豊町のような山間部地域も同じ地方としてごっちゃに捉え、「おまえ何言ってんだ!」と言っているのでしょう。

 

何も、近くにスーパーや郵便局もないような山奥や地形的に隔絶された漁村まで、全国津々浦々脱クルマしろなんて全く言ってないですよ。むしろ、そういう地域は農林水産業の作業用として生産的な側面が強いですし、同時に生活必需品であります。普通にクルマは必要です。ぼくも全くもって否定していません。

 

脱クルマを推進していくべきなのは、あくまでも地方中核都市の市街地およびその都市圏と、地方小都市の市街地内です。

 

そこの過度なクルマ依存は、渋滞、大気汚染、交通事故(特に高齢者が運転して起こす交通事故が社会問題になっています)、駐車場等による土地の無駄使い、都市空間の魅力低下など弊害も大きいですし、そこで暮らす住民にとってもマイカーの維持コストは生活コストを押し上げる要因になっていますしね。他の趣味娯楽や住環境の改善等に回るであろうお金が食い潰されてしまっています。

 

「弊害が大きいのでその部分を緩和していきましょう」と言っているわけです。

 

nomotoyasushi.hatenablog.jp

 

nomotoyasushi.hatenablog.jp

 

条件反射的に反論する方は、こういう過度なクルマ社会の弊害についてどう考えているか聞きたいものです。

 

持論ですが、地方と言えども都市という場所は、マイカーを持たなくても何ら問題なく生活できるところであるべきと考えています。

 

 

脱クルマ社会は公共交通の充実が大前提。「クルマ乗るのはけしからん!」ではありません!

 

次に、現状の交通環境のままクルマを減らすべきとも考えていませんし、クルマに依存している人々自体を批判しているわけではありません。(さすがに、わずか数百メートル先のコンビニへもクルマは依存し過ぎだと思いますが…)

 

「マイカーに依存するのはけしからん!直ちにクルマ捨てて自転車に乗れ!不便な公共交通に我慢して乗れ!」なんて全くもって言っていません。

 

問題にしているのは、地方中核都市圏であっても通勤や休日の外出などフツーの生活のためにもマイカー所有が大前提になっている社会構造です。

 

「地方の人々がクルマに依存するのはけしからん!」ではなく、「公共交通がクソすぎてクルマに依存せざるを得ない地方社会がけしからん!」ですよ。

 

現状では地方でクルマに乗ることはやむを得ないものと考えています。ぼくだって、乗っていますし。不便で高い公共交通に無理して乗るのは現実的ではないですもの。

 

しかし前述のように、クルマ依存社会は色々と弊害が大きいですし、地方の疲弊と衰退を招いているとすら考えています。そういう状況から脱出するためにも、便利で快適に使える公共交通を整備してクルマから移行できる環境整備が必須だと言っているわけです。

 

そう言うとすぐに、「地方で公共交通を充実させて採算とれるの?」と突っ込む方があらわれますが、細かく書くと独立採算制のことや公共インフラとしての考えや社会的便益のことなどキリがなくなるので詳細は省略します。

 

ただ、これだけは言っておきます。「人口が集積した地域で一人一台マイカーを維持し走らせるよりは、交通手段をみんなで共有した方が一人あたりの移動にかかるコストは遥かに安くて済む。それだけ生活コストは低減できて実質の可処分所得は上がる」と。

 

生産手段的なクルマと消費手段的なクルマは全く違う

 

以前、こんな批判をされた方がいらっしゃいました。

 

農家はクルマがないと困る。公共交通で収穫物は運べない。

 

聞いた瞬間、「・・・・・・・・・」でしたよ。

 

 あのね、農家の軽トラはあくまでも農作業用、業務用ですよ。「はたらくクルマ」というやつです。農家をはじめとした自営業者が仕事で使っている自動車は、都市部のサラリーマン(給与所得者)世帯が持つマイカーとは全く別物ですぜ。

 

前者は生産的な側面が強いですが、後者は消費的な側面が強く、同じクルマと言ってもその意味合いは全く異なってきます。

 

農家が持っている軽トラは、生産手段と考えれば価格もさほど高くない上、全額経費として計上できます。それに商用車と設計されているだけに、耐久性は高く寿命も長いので、決して高コストには思いません。それで買い物に行ったり用事を済ませたりはしますが、もともと仕事で使っているものを、日常の移動用にも活用しているだけなので、追加の出費も微々たるものです。

 

そう言うと「サラリーマンだって通勤に使っているから生産的手段の側面はある」と反論されるでしょうが、短距離であれば自転車に代替可能な場合も多いですし、バイクという選択肢もありますし、中長距離も公共交通を整備したら代替可能なことを考えたら、やはり高コストすぎると言わざるを得ません。

 

それゆえに農山漁村地域では、クルマ社会でもほとんど問題ではないと考えています。人口密度が低いので、渋滞も基本ありませんしクルマが氾濫しすぎて息苦しいということもないですし。

 

ただそういう地域でも、農林水産業などの自営業者ではないサラリーマンもいますし、農家であっても別に乗用車を持っていることは多いですし、高齢者の運転による事故の問題もあるのでその辺は今後課題になってきますね。

 

個人的には、日常移動用として軽自動車よりも安価に維持できる2人乗りで電動の小型自動車(超小型モビリティ)や電動スクーターを普及させて、本格的な乗用車はカーシェアリングで適宜利用できるようにしていくのが望ましい思っています。

 

 それでも脱クルマの流れを作っていかねばならない

 

 別に反論するのは一向に構わないのですよ。

 

だけど、あまりにも条件反射的で感情的な反論が多いように見受けられます。なぜクルマ依存社会を問題視しているのか、ちゃんと書いていることを読んでから理路整然とした内容で反論していただきたいと思います。

 

ですが、残念ながらそういう建設的な反論って滅多にないのですよね。感情的な批判ばかりが目立ちます。それだけ多くの人々が、所謂『クルマ脳』と言われているクルマ絶対主義ってやつに骨の髄まで侵されてしまっている証でしょうね。

 

ま、何と言われようと地方の衰退を食い止め、地方の経済や暮らしがよりよくなっていくためには、公共交通を整備し自転車も使いやすくして、脱クルマの流れを生み出していく必要があると確信しています。